中世三城連携会議

今回、ジャパン・インバウンドのロッド ウォルターズは愛媛県中予地方局開催の中世三城連携会議のメンバーとして任命されました。インバウンドの観点で外国人目線から天守閣のない城をどうやってアピールできるかをアドバイスします。また、実際のツアー企画する際に、ジャパン・インバウンドが持つShikokuTours.comを利用し外国人観光客へのツアー販売が可能になります。

これから、各城をさらに研究し続けながら、外国人観光客を面白く案内できるように、新しいコンテンツを検討していく予定です。

愛媛県中予地方局による中世三城連携会議(仮称)の開催趣旨は下記の通りです。

戦国時代の伊予は、守護大名の河野氏の衰退や周辺諸国からの侵攻などにより、群雄が割拠する混沌とした時代であった。合戦は、桶狭間や関ヶ原だけで行われていたのではなく、伊予の各地でも大小の合戦が繰り広げられていた。不幸にも、戦いの果てに敗れ去り、歴史の中に消え去った者も多いが、そこでは、氏族の生き残りをかけて、知恵を絞り、勇気を出して、力の限り戦い続けた生身の人々の姿があり、数々の物語が生み出された。この時代は、伊予の長い歴史の中でも、盛衰の動きが激しく、人々の価値観も大きく変動した激動の時代であった。この時代を象徴するものが、日本最大の海賊である能島村上氏の本拠地『能島城』、伊予の政治経済の中心である守護大名河野氏の城館『湯築城』、伊予と土佐の国境の山城である松野の『河後森城』の三つの城である。

これらの城は、天守閣や立派な石垣はないけれども、中世の時代にあって、実際の戦闘を前提に、当時の最先端の技術と大量の労働力を投入して、防御機能を最大限に高めた戦いの城であり、伊予の各地域勢力の拠点であった。これら三城の地域勢力は、時に敵対関係にあり、時には和睦しながら、互いに連関を持ちながら同じ時代に伊予に存続し続けた。
これら三城の関連性に焦点を当てることにより、混乱の中にあった伊予の中世の時代が現代の我々の現前に色鮮やかによみがえり、当時の人物のキャラも生き生きと立ち現われてくる。これらのことは、ほんの数百年前に、この愛媛の地において実際に行われた事実であり、教科書に載っているような『大文字の歴史』に対して、我々が日ごろ目にする里山や川や海辺において、必死にそして真摯に生きようとした人々の『小文字の歴史』ともいえるものである。
このような視点に着目し、三城が連携することにより、次の三つの効果を発生させて、三城の歴史的・文化的・観光的価値を高めることができると考える。

一つ目は、地域の住民がその地域の歴史に興味を持ち、相対し、身近な出来事として認知し理解することである。これにより、真に歴史から学ぶことができるとともに、地域の歴史に誇りと愛着を持つことができる。

二つ目は、他の地域の人々も、愛媛の歴史に興味を持ち始めることである。日本 100名城の湯築城とともに、奇しくも能島城と河後森城が、昨年 4 月に続日本 100 名城に指定され、本年 4 月からスタンプラリーが開催されるなど、まさに今、これらの城が注目を集めている。また、全国的な歴史ブームにより、城跡の人気が高まっており、これを好機ととらえ、中世という時代に特化した特色を前面に打ち出して、中世の歴史に興味のある全国の人々の心をつかみたい。

三つ目は、県外や国外からの観光客が増加することによって、地域の振興や活性化につなげることができることである。城跡の訪問だけにとどめず、当時の人々が食していた食べ物、当時盛んだった茶・花・連歌・書画などの芸術文化、剣・弓・馬などの武術、などの様々な関連する体験や、過去の歴史の積み重ねの結果である現在の観光資源を活用することも可能である。加えて、三城が連携して魅力の拡大や積極的なPRに努めるにより、相乗効果の発現や費用の軽減を図りながら、交流人口の拡大や地域滞在の長時間化を目指したい。